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この唐草文様の風呂敷は、明治時代から昭和に掛けて大量生産された。当時泥棒は手ぶらで家屋に侵入し、まず盗んだ物を持ち運べる大判の風呂敷を探した。そこから泥棒=唐草の風呂敷というイメージが定着した。 唐草文様は古代エジプトで生まれ、シルクロードを渡って日本にもたらされた。そして江戸時代には風呂敷の文様として定着したのである。唐草は四方八方に伸びて限りがなく延命長寿や子孫繁栄の印として大変縁起が良い物とされていた。当時は婚礼道具や夜具地(布団)を唐草の風呂敷で包んでいたようである。